イタリア料理研究家として活躍する板倉布左子さんは、生まれ故郷である島根と東京で料理教室「effe-co. (エッフェ・コー)」を展開。単にレシピを教えるだけでなく、自らのイタリア生活の経験を活かし、イタリアの食文化そのものを伝えるという、独自のスタイルが評判を呼んでいます。
「一昨年までの10年間に渡ってイタリアで暮らした経験があるので、感覚的に“イタリア人の食卓”が身についていると思っています。例えば“カルボナーラ”のような、コテコテの定番ではなく、現在のイタリア人が好んで食べる家庭の味を、日本でも簡単に手に入る食材を使って教えているのが特徴です」
板倉さんの教室に通うのは、30代女性が中心となっているのだとか。そんな“大人女子”世代から絶大的な支持を集める理由には、料理はもちろん、テーブルセッティングやワインなど、料理を取り巻く要素にも独自のこだわりが散りばめられている点にあるといいます。
「ちょっとした工夫で可愛く見えるセッティングレッスンも好評です。ワインは懇意にしているショップの方に相談しながら、その料理にフィットするイタリアンワインをセレクトしてご紹介しています」
試食の時間をたっぷりとって、受講者とともに料理を楽しむのも特徴。板倉さんが過ごしてきたイタリアでの生活の様子や現地の食文化についてなど、受講者の興味を掻き立てるような話題が尽きません。
「イタリア人にとって、食事は娯楽の一部として生活の中に染みついています。できる限り家族や友人たちと一緒に楽しんで、食事の時間そのものを有意義に過ごそうと考えているのですね。ですから私の教室では、皆さんと一緒に食事を楽しむ時間を一時間くらいたっぷりとって会話を楽しんでいます。ちょっとした異業種交流会のように、この教室から新しいお友達ができた、なんて方も多くいらっしゃいますよ」
板倉さんは、料理教室のほかにも、出身地である島根県・出雲エリアの野菜の魅力を発信する活動にも注力。その行動原理には、イタリア生活で身についた食習慣が少なからず影響しているといいます。
「イタリアには、コンビニエンスストアなど存在しませんから、出来合いのモノや調理パンを買ってきて、一人で簡単に食事を済ませるような習慣がまだ少ないのです。24時間オープンしているお店もないので、必然的に調理しなくてはならず、それが普通なんです。そして週末はだいたいトラットリアやピッツェリアで、友人とともに食事を楽しみます。ですから日本の“個食”という習慣に違和感を覚えてしまうのです」
もちろん、いろいろな生活スタイルがあるから、コンビニ食や加工食品などを活用する“利便性”そのものを否定するつもりはないといいます。
「料理教室では、私の出身地である出雲の有機的農法に基づいたビオ野菜を使用しますが、“ビオ野菜しか使わない”とハードルを高くするつもりはありません。ただ、機械的に、化学肥料をたくさん使ってつくられる大量生産の野菜をとるより、真面目に丹精込めて愛情たっぷりに作られたパワーある食材を摂る方が体にも心にもいい影響をあたえるのではないかなとおもっており、ちょっとした工夫で自身の食生活が豊かになったり、質が向上するということを伝えていきたいのです」
イタリア・トリノで過ごした10年間
板倉さんがはじめてイタリア・トリノに向かったのは23歳の時。雑誌の編集部に勤めていたことが渡伊に踏み出す大きな要因となりました。
「ちょうど“スローフード”というキーワードが日本に入ってきたばかりの時期。当時はいつかは自分もイタリア料理に特化したライターになるぞ!と夢見ていたころでもあったので、イタリア料理についての記事を執筆するためには、その根源を知るために現地に行くしかない!と、勢いで渡伊を決断したわけです(笑)」
フレンチをはじめとする他国の料理ではなく、イタリアンに強く惹かれたのは、元々、自分で料理を作ることも好きだったからだといいます。
「フレンチももちろん、美味しいのですが、毎日食べたいと思うのはいつもイタリアン。また、お店の味を家で再現しようとしても、フレンチは複雑すぎて難しいですよね。ところがイタリアンであれば、“これとこれが入っていて、こうすればできるのでは?”と予測ができる点にも親しみを覚えていたのです」
そこで、板倉さんはイタリア、アスティ県郊外にある外国人向けの料理学校に3か月間の留学を決意します。
「何人かの日本人と一緒に寮生活をしながら、ひたすら調理実習とサービス実習を繰り返す日々。学校が終わると同級生とお金を出し合って高級なワイン、といっても日本で買うより全然安いのですが、それをみんなで飲みながら、料理という共通話題にについて語り合っていました。その3か月間は、本当に幸せすぎて“私、死んじゃうんじゃないか?”って思うくらいでした(笑)」
ところがわずか3か月の滞在だけでは、板倉さんの探求心が満たされることはありませんでした。
「イタリア料理は奥が深くて、たった3か月間学んだだけでは、ぜんぜん語れないと思ったのです。もっと文化を肌で感じないといけない。イタリア語のレシピだって読めなくてはいけない。現在の状態では“イタリアに行ってきました”なんて言えないと思ったのです」
そこで板倉さんは再び、イタリア・トリノの地へと向かいます。今度は最低でも、1年間はそこで過ごそうと考え、語学学校への留学を決意します。
「1年間のビザを取得して語学学校へ通うことにしました。最初の1か月はイタリアの家庭にホームステイし、その後は留学費用の節約のために4LDKのシェアハウスで学生4人で暮らしました。でも、一年たっても語学に自信が持てない。バイトのために一時帰国してお金を貯めて、またイタリアに行くという暮らしを2年間続けていたのです」
そんな生活の中で、徐々に板倉さんの意識は変わっていきます。
「当初はイタリア料理を専門としたライターを志していたのですが、徐々に考えが変わってきました。料理学校時代、まったく同じ分量、食材でも同じように調理しても10人いれば、10人違う味ができ、面白い。料理学校・教室というものを通じて楽しさを教えることが自分らしい生き方なのではないか?そう思うようになっていたのです」
料理学校で働きたいが、学生ビザを利用して2年間イタリアで生活したので、もう学生ビザは出ないだろう。でもまだまだ自分が満足できる成果は得られていない。イタリア生活をもう少し掘り下げるべきか、帰国か。そう考えた板倉さんはとりあえずフリーランスビザの切り替え申請をします。ビザが下りればイタリアに残り、下りなければ日本に帰れということだと運命に従うことにしました。
「申請をしている間の6か月間はとりあえず、ここで過ごすことができるので、その間にいろいろと先々のことを考えておこうと思いました。ビザが下りれば、まだイタリアにいろということ、でなければ日本に帰れということだと腹をくくり、その数ヶ月をすごしていたら、なんとビザが下りてしまったのです(笑)。そうなると学生ではなく、就業しなくてはいけないし、税金も請求される。働かなくっちゃ!と履歴書をバラまいたところ、トリノにある老舗のカフェにたどり着いたのです」
イタリアでの生活を維持するために必死だったという板倉さん。やがて転機は訪れます。
「最初にお世話になったホストマザーの息子さんの知り合いが料理学校で働いていて、そこで和食を教えてくれないかという話を持ってきてくださいました。カフェはフル勤務ではなかったので、もちろん喜んで引き受けてダブルワークをこなしました。やがて、そこから人脈が広がり、ケータリングサービスを手伝うようになりました」
さらに、良い話が板倉さんのもとに舞い込んできます。
「料理学校で知り合った女性がトリノで有名な魚屋さんと二人で出資し、新しい料理学校を立ち上げるので手伝って欲しいと声がかかりました。学校の設計、デザイン、スクールのブランディングにゼロから関わらせていただき、日本に帰国するまでの4年間はその料理スクールで働きました。出資者の一人である魚屋さんは経営部分を担当していたので、スクールの運営は、もう一人の女性オーナーと私。二人とも私を共同オーナーのようにかわいがってくださり、自分の理想とする料理スクールを作り上げることができました。イタリアに住みはじめて、10年近くたってようやく、自分がやりたかったことにたどり着いた、そんな気がしたのです」
これまでだって、帰ろうと思えばいつでも帰れる。辞めようと思えばいつでも辞められる。そうであるにも関わらず、なぜに板倉さんはあきらめなかったのか。そこには自らの生き方に対する姿勢が色濃く影響しているように思えます。
「やっと料理学校のプロジェクトまでたどりついたとき、そのときが一番大変で、もうここまでやったし、帰ってもいいかなと思ったこともありました。が、“何のためにイタリアに行ったの?ここで帰っちゃダメでしょ”と友達に励まされ、踏みとどまることができました。ここまで来たんだから、もう一踏ん張りだよね!絶対にやりとげなくては!その一心でした」
そして、10年間のトリノ暮らしを続けた板倉さんの元に、期限のない滞在許可証が支給されます。
「いつかは日本に帰ろうとおもっていたのですが、10年もイタリアにいると、イタリア生活が普通で、日本に帰ることが外国に飛び込むような怖さというか、不安がありましたね。私が今やっている料理学校は日本でも通じるのだろうか?でも日本に帰らなくては!でも、いつ?と迷っていた頃、期限のない滞在許可証がでて、いつでもイタリアに戻って来られるという安心感を手にしたからこそ、一旦日本に帰ろうと決断できたのです。そこで、念願だった自分の料理教室の準備を進めることにしたのです」
トリノで知った“大切なこと”
トリノの街は、板倉さんにとって親しみやすく魅力的な場所だったといいます。
「街並みは美しく、規模もちょうどいい。住みやすい街だと思いますが、イタリアの中でも保守的な街と言われていますね。私の出身地である島根も比較的保守的な土地柄なので、違和感がなかったのです。人との距離感が共通している。冷たいわけではなく、必要以上に立ち入ってこない、それが心地よかったのですよね」
一定の距離感を保ちながらも、一人、異国の地で奮闘する板倉さんを温かく見守ってくれる。前述のように、誰かと一緒に食事を楽しむことの大切さを身に染みた期間でもあったといいます。
「単身で行っていたものの、一人でご飯を食べることはなかったんですよね。カフェの同僚たちと食べるのはもちろん、休みの日には最初にお世話になったホームステイ先のホストマザーが私を気にかけてくれて家に呼び、家庭料理をふるまってくれました。本当に“食が人と人を繋ぐ”ということを実感できたし、このイタリアの温かい食文化を日本に広めたい、そんな意識が固まった時期でもありました」
北欧ノルウェーで現地の味に触れたい
そんな板倉さんが、現在興味を持っている旅先は北欧、特にノルウェー・スウェーデンに惹かれるのだといいます。
「北欧料理は世界的に注目されています。有名シェフがこぞって北欧料理をおしています。それはなにか現地にいって自分で感じてみたいのです。現地で名産や名物料理を味わいたい。できれば観光客向けではなくローカルなお店や家庭の味を楽しみたいですね」
旅の目的はほとんど“食”だと言い切る板倉さん。“これを食べたいからここに行く”と目的地を設定するのだといいます。
「私のベースはあくまでイタリアンなので、北欧料理を作りたいということではなく、あくまで自分の味覚を発展させる目的で、“これとこれを組み合わせるんだ!?”という未知なる感覚や、まだ食べたことのない“食”との出会いを求めているのです」
旅を重ねるごとに板倉さんの料理のイマジネーションは広がり、深みを増していくのでしょう。
板倉布左子さんhttps://www.facebook.com/fusako.itahttp://effe-co.com/
インタビュアー:伊藤秋廣(エーアイプロダクション)